友達がいない。

学生時代友達ができなかったことをいまだに考えますし、
トラウマとしていつでも鮮明に脳裏に蘇らせれます。

話しかける勇気がなかったのは言わずもがなですが、
大人になってから考えてみると、
みんながみんなそんな勇気を持って友達を作っていたようにも思えません。

もちろん、勇気を持ってみんなで仲良くしようとしていた…いわゆる学級委員みたいなタイプの人には尊敬しかないのですが、

そうでなくても、
ごく自然と友達ができた人はいるはずで、

その人と僕の違いはなんなんだろうと考えてみます。

そうすると見えてくるのは、
(話しかける勇気がないというダメなところがあるのは大前提として)
僕は理想が高すぎるのかもしれません。

物心ついた時から、
「なんとなくで話す」の意味がわかりませんでした。
話すならちゃんと目的を持って話したかった。

別にくだらない話が嫌いってわけではまだなくなく、
くだらない話をするならきちんと「笑う」という目的を持って話していたい。

大人になった今は、
その「理想」をうまいことトランスフォームさせて
「相手の話から目的を引き出してあげる」という能力にもできたので、
人の話を聞く楽しみが分かりますが、

当時はもっと歪だったので、
他人との会話をするハードルが
おそらく普通の人より何十倍も高かった。

それでいて周りは小学生とかになると、
会話が噛み合うはずがない。

そして、
今もなお、
人のお店や病院や役所となると
急に緊張するのは、

「相手の話から目的を引き出してあげる」というトランスフォームすら無効化されてしまう環境だからだとわかってきました。

だから今もなお友達は多くないです。
でも友達は沢山います。

これ、どういうことかというと、
僕のお店やイベントに来てくれる人は、
トランスフォームした能力を受け止めてくれるし、活かしてくれるし、

なにより、今度の独演会の場合は、
「目的を持った僕の話」を聞いてくれる。

これは友達と言っていいですよね?

特に独演会に来てくれたみんなは、
僕がトランスフォームせずとも接せれる関係がその日以後続いていく。

だから「独演会に来てください」は僕にとっては「親友になってください」とほぼ同義。

「お店に来て欲しい」「イベントに来て欲しい」は「友達になってください」くらいの感覚かな。

僕は友達へのこだわりがすごいです。
幼い頃、喉から手が出るほど欲しかったものだから。

だからこそ、独演会もイベントもお店も全力でできるのです。
友達になれるかもしれないチャンスだから。

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