誰かのせいにできるなら、それも悪くはないと思う

スタッフの駿介です。

「ガヤガヤBAR」や「遊びまみれ」という毎月のイベントをやりながら、

夏にある未知のイベント「100時間フェス」のことをチマチマやっている日々です。

一応全て、僕に決定権があるので、

楽しさや、やりたいことを誰にもお伺いを立てずできる気持ちよさはある一方で(ありがたい!)

考えることが山ほどあります。

どうしたらお客さんに来てもらえる?

どうしたらクオリティが上がる?

予算は?時間は?

で、今僕が「難しいなぁ」と思っているのは、

例えば、

「どうしたらお客さんに来てもらえるか?」を考えた時に「告知動画を撮ろう」とするじゃないですか。

すると、「告知」として機能するくらいには、「クオリティ」を上げなければいけませんし、

それを作る「予算」や「時間」を捻出しなければいけないわけで、

一個何かやろうとすると無数に考えることが増えるんです。

「じゃあやめとくか」という心が生まれたりもしますが、

それじゃ結局、「何もしないこと」になってしまう。

だから、結局は「なるべくやってみる」「その上で損切りする覚悟は持つ」が結論になるのですが、

「なるべくやってみる」期が重なるタイミングもあって、そうなると、樹形図のように無数に無数に考えることが増えていきます。

で、その間も全体の命題に関する思考は止まらない(止めない方がいい)わけで、

さっきの例え話に戻すと、

告知動画の撮影スケジュールを考えている間に

新たに「ポスター」を作ることを思いついたので、そのデザインを考えるタスクも追加で!

みたいなことが起こりうる。ていうか、起こり続ける。

もっというと、

ガヤガヤBARの告知画像とポスターを作ってる時に、100時間フェスでやる新企画を思いついたから台本書こう…

みたいに、別プロジェクトが割り込むこともあって。

これがもし、「取引先」とか「上司」とかいたらその人たちのせいにして「なにくそ!!」と言えるのですが、

最初に書いたように決定権は全て僕であり、

僕が僕に課していることなのです。

「なにくそ!!」と言えばいうほど自分が傷ついて行く自傷スタイル。

これマジで厄介なんです。

そういう面で、何かのせいにできる環境の人が羨ましいです。

何かのせいにできるってそれだけで心を守れるから。

「何かのせいにするのは良くない!」って考えもわかるけど、

何かのせいにした方が心を守れるなら、頑張れるなら、それもありだと思います。(他人を傷つけない範囲で)

少なくとも、自分のせいにしすぎて身動き取れなくなるよりはよっぽどいい。

何かのせいにできるってのもしっかりその人が勝ち取った権利だと思う。

残念ながら今の僕にその権利はない。

ということで、こんな日々を過ごしてるので、最近は結構いっぱいいっぱいなのですが、

ふと周りを見渡すと、

僕のやってることなんてほんとちっぽけで、

結局は自分のキャパシティが狭いのが問題だ!ってなってます。

でも、多分、キャパシティなんてものは、いっぱいいっぱいを繰り返して徐々に広くなるものだと思うので、

今はいっぱいいっぱいになるだけなってればいいのかなぁなんてことも思ってます。

いっぱいいっぱいで進む中には

多分成長の種もいっぱいあるから。

少々不格好ではありますが、

きちんと一生懸命、日々「ガヤガヤBAR」「遊びまみれ」「100時間フェス」と向き合ってますので、

どうか応援していただけたり、一緒に参加していただけたり、なんなら共に成長できたら嬉しいです!

よろしくお願いします!

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