救われてるし救いたいし

ガヤガヤBAR スタッフの駿介です!

宗教の勧誘みたいなタイトルですみません。

宗教的な話は全く出てこないですし、ついでに言うとシバターさんの動画も関係ないのでご安心を。

突然ですが、あなたにとって「仕事」とはなんですか?

あ、どこぞのドキュメンタリーも関係ありません。

おそらく「お金のため」と「社会の役に立つため」の二つに関係する答えが多いのではないのでしょうか?

確かに僕もこの二つがないと言ったら嘘になりますが、僕はそれ以上に「仕事」に「助けられてる」人間です。

たとえば、「遊びまみれ」というイベントをやっていなかったら、

僕はクイズや大喜利を「作る」という楽しさに出会えてません。

たとえば、「ガヤガヤBAR」がなかったら。

僕はこんなにいろんな人と話をできていません。人見知りなのであまりどこかに出向くタイプでもないので。

どれだけ悩んでいても、

イベントが始まれば、その時間は楽しくなるように全力投球するしかなく、

強制的に脳も体も「楽しい」方向に向いていく。

どれだけ心が重くても、

BARがオープンすれば、その時間は目の前の人と向き合うしかなく、

強制的に脳も体も「自分よがり」じゃない方向に向いていく。

こういう場所がなければ、僕はいつまでも悩んで、心を重くして、辛い方向に向いて、自分よがりになっていって…

負のスパイラルにどんどん入るような人間だと思うのです。

それをお仕事が食い止めてくれている。

もっと言うと、それを、「遊びまみれ」に、「ガヤガヤBAR」に来る人が食い止めてくれてる。

こんなにありがたいことはない。

イベントやお店を続けるとなると、

大変なことは山ほどあるけれど、

お金や社会への貢献の他に、こんな恩恵があるというのは、何物にも変え難い。

だから、「遊びまみれ」や「ガヤガヤBAR」に少しでも関わってる人が、もし仮に、

「自分なんか必要ない」とか、

「何の役にも立ててない」とか、

ましてや「生きてても仕方ない」なんて思うことがあるのであれば、

それは完全なる勘違いだ!と言い切れます。

少なくともあなたがいるおかげで、僕は生きられている。そして、僕が生きていく中で作り出すものは、つまり、あなたがいてくれてるからで。

遊びまみれもガヤガヤBARも僕がこれから作り出していくものも、あなたの作品とも言える。

ここ最近、心の調子がよろしくない僕ですが、

ガヤガヤBARからの帰り道の時間だけはなんだかすっごく晴れやかな気持ちになれている。

元気をもらっている。完全に。

お金ももらってるのに。

でも、「お金をもらってる」上でさらに「元気をもらう」のは欲張りだって考えは全く共感できない。

それ以上にお返しできたらそれでいい、

むしろ、それがいい。

人と人とのエネルギーはそうやって循環していく、いや、循環というより大きくなっていくものだ。

僕はこうして、救われている以上、その分、関わってくれる人を救う気でいます。

いや、「救う」とか言うと上から目線な感じがするかもしれませんが、

楽しませてもらってる分、もっと楽しませるし、

元気をもらってる分、もっと元気を渡したい。

そして、救われてる分、(何かあれば)救いたい。

というごくごく自然な話です。

そして、これは、すなわち、

一方的に「楽しませたり」「元気を与えたり」「救おうとしたり」するものより、大きなエネルギーになるんじゃないかなぁと思います。

遊びまみれやガヤガヤBARはキャッチボールをしてる分、かなり大きく「楽しませれる」し「元気を与えれる」し、「救える」んじゃないかと。

そんな関係性でありたいと思うガヤガヤBARの帰り道です。

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